梅雨じゃなくても湿気ってる。

思い付いた事を、気が向いた時に書いてます。

ゾンビのおっぱい

吸いかけの煙草を、ゾンビの灰皿に押し付けた。

ゾンビの灰皿は本当にゾンビの灰皿で、金髪で全裸の女ゾンビが血で満たされた猫足バスタブに浸かっている珍しい意匠の灰皿である。女ゾンビは白目を剥き、唇の端が耳元まで裂けていて、そこから黄ばんだ歯と紫色のベロが飛び出し、腹からは盛大に内臓が漏れ出ている。そのくすんだ肉色の内臓やゾンビらしく緑や茶色に変色した乳房や腕や脚の周りには、ご丁寧に、古いごはん粒みたいな乳白色の蛆虫まで引っ付いている。内臓の漏れ出した腹の、臍の位置に当たる部分がすり鉢状に凹んでおり、その申し分程度のスペースに煙草を押し付けたり吸殻を入れられる作りになっている。

 

なんだか、妙にぼんやりしている。おかしい。久々に煙草を吸っているからだろうか。

意識ははっきりしているし、自分は今何について考えているのかも認識出来ているが、脳みその一部分が、まだ目醒めていない。

位置でいうと丁度後頭部の、左耳の付け根にほど近い部分、その辺りの脳みそが、まだスヤスヤと穏やかな寝息を立て、なにか楽しい夢でも見ているのだろうか?一向に目を醒まそうとしない。今 自分にとって最も重要な気がするある事柄が、どうしても思い出せない。

今 私が頭の中でグチャグチャゴニャゴニャ思惑を巡らす様々な事象に対し完璧に意識を向け、最も重要だと感じる一点を記憶の海の底から引き上げるには、その未だ夢の世界に旅立ったままの部分の働きが必要不可欠であり、目醒めろ、目醒めろ、目醒めろ、目醒めろ!と 語りかけるかのように、ように というより実際に口に出して、直接目で見る事は出来なくとも私がまだ母親の胎内で温かな羊水に包まれて過ごして居た頃から常に側に在り続けてくれているであろう、その小さな友人に語りかけた。

 

女ゾンビの灰皿は、既にいくつかの吸殻でいっぱいになっている。一応灰皿という事にはなっているが、純粋に灰皿として使用するにはあまりにも不便なゾンビの灰皿である。なにしろ、吸殻を入れるスペースが小さすぎる。何故この不気味な置物を灰皿にしたのか。製作者の意図が掴めない。

この灰皿と初めて出会ったのは、N市の商店街の外れにある小さな雑貨屋だった。その時はただただ最悪なデザインだと感じた。こんなに悪趣味な灰皿を拵える人間は、きっと頭のおかしい奴に違いないと。ただグロテスクなだけのデザインならそこまで嫌悪を感じなかっただろう。

しかし、ゾンビ灰皿は女の形をしていた。

全裸の、大人の女性の肉体である。

それは、当時まだ初潮も訪れていなかった幼い私に、嫌という程女の性を意識させた。

皮膚が所々緑や茶色に変色していようが、クリーム色の蛆虫が身体中の至る所に施されていようが、乳首を露出させた2つの乳房は大海原に威風堂々と聳え立つ双子島の如く、泡立つ赤黒い水面から天に向かい屹立している。耳まで裂けた傷口から覗く歯列や舌や腹からこぼれた内臓よりも、私はその形の良い豊かで攻撃的な乳房に恐怖を覚えた。

普段目にする己の母親のなだらかな乳房とは、全く異なるものだった。

 

目醒めろ、目醒めろ、目醒めろ、目醒めろ。

後頭部の小さな友人は、徐々に瞼を開いてゆく。まだ涙の膜で覆われた眼球の表面に、お日様の光がゆっくり、ゆっくり、頭のてっぺんまですっぽり被ったタオルケットを優しく剥ぐように降り注ぐ。

ああ…おはよう。ごめん、寝坊した。

おはよう。ずっと待ってた。

知ってる。夢の中でもあんたの声が、聴こえてたから…。それで?わたしは今からどんな仕事をすればいい?何を思い出したいの?

わかんない。何を思い出したいのかすら、わかんない。でも、なんかすごく大事なことを忘れてる気がする。

 

幼い頃に最悪なデザインだと感じたこのゾンビ灰皿は、十数年後、再び私の目の前に現れた。

「はっぴーばーすでー」というセリフと和かな笑顔と共に手渡された、レーザービームみたいにギラギラ輝く包装紙に包まれた箱の中に、彼女は居た。初めて出会ったあの頃と同じく、緑や茶色に変色した肌に蛆虫を纏わり付かせ、腹からは内臓を漏らし、赤黒い血液でいっぱいになったバスタブに沈んでいる。

「うーわ…何これ…。」正直、また会うとは思わなかったよ。会いたくなかったけどね。

「いいでしょ。君こういうの好きそうじゃん?結構高かったんだから、大事にしてね。」

貰ってしまったものは仕方がない。

これからよろしく。それにしても、あの頃と全く変わらないね。私は、あなたの頬っぺたから飛び出しちゃってる歯とかベロとか、身体中に付いてるウジ虫とか、お腹からあふれてる内臓なんかより、そのでっかいおっぱいが、身体中が腐ってぐずぐずになって肌の色が変わっちゃってもツンって上を向いてるおっぱいが、ずっと、ずっと、怖かったんだよ。

「貰っちゃったし使うわ、とりあえず。ありがと。」

 

だめだ。どうしてだろう。小さな友人は、私の呼びかけに応えて、とっくに目を醒ましてくれたのに。思い出せない。1番、大切なことが。

ねぇ、私が何を思い出したいか、わかる? 

ごめん。わかるわけないよね。

吸いかけの煙草を、ゾンビの灰皿に押し付けた。女ゾンビの内臓の飛び出たお腹は、きっと、もうこれ以上吸殻を受け止めきれない。

捨てて来なくちゃ。それで、女ゾンビの汚れたお腹を、綺麗に洗ってあげなくちゃ。

 

吸殻で満杯になったゾンビの灰皿を掴んで、椅子から立ち上がる。

 

…思い出した。

私の小さな友人は、とてもゆっくりだけれど、きちんと仕事をこなしてくれた。

 

 

トイレットペーパー、切らしてたんだった。